借金解決の藤原義塾
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中島寿一先生  経営者フォーラム 東京ランド鰍フ代表取締役。早稲田大学政経学部卒業後、不動産業を開業。成功を収め、一時は千代田区の高額納税者番付に乗ったこともある。しかし、バブル崩壊の足音を察知して不動産業から撤退し、「逆転の借金経済学」(徳間書店)
を著したことから、全国から多くの経営に窮する相談者が訪れるようになり、経営コンサルタントとして今日に至る。著作は、すでに10冊を超え、多くの中島ファンを日本全国に持つ。その筆致は軽快で読みやすく、しかし物事の本質をズバリとついた警世の書という趣を持つものが多い。
中島先生自身、独特の哲学を持ち、「雇われない自由」すなわち、誰にも縛られない生き方こそ最も価値ある生き方だと得く。
借金に関しては、すでに過去10年以上にわたり4000人以上の相談に乗っている。その事務所には、多くのスタッフがいるが、みなかつて経営に困窮したときに中島先生を訪ね、再生したり救済された元経営者であり、「借金地獄の経験者たち」だ。

東京ランドの雰囲気は、一言で言って「自由」であり、中島先生自身、束縛されることを嫌い、また人の自由を奪うことを嫌う。したがって、正社員という人は、先生の女房役とも言えるSさん以外は、相談に乗るスタッフは本業を別に持つ方ばかりである。ただ、借金地獄を自ら味わい、脱出して立派にやり直している、というところが共通点であろう。

今日も、青い顔をした、借金が数億円もあるという地方の料亭経営者が、市谷駅から徒歩5分の先生のオフィスを訪れてきた。
そして、ものの2時間の間に、先生のジョークを交えた借金消滅法の話に熱心に耳を傾け、面談の時間が終わるころにはすっかり表情に明るさと精気を取り戻してドアから去っていくのである。
中島寿一  主な著作:「逆転の借金経済学」(徳間書店)   借金整マニュアル」(WAVE出版)  借金をチャラにする魔法の裏ワザ80「」(にちぶん文庫) 「デフレの達人」(河出書房新社) 「借金地獄から抜け出す合法的裏ワザ」(二見書房) 「倒産させない」(KKベストセラーズ)

吉田猫次郎先生   いまをときめく個人再生コンサルタント。まだ35歳の若さである。猫次郎という名前は、もちろんペンネームである。有名私大を卒業後、一部上場の大手商社マンとして前途洋々だった猫次郎氏は、親の事業の保証人になったことがきっかけで泥沼の借金地獄に陥り、一時は非常に絶望的な状況となった。ついに猪苗代湖まで車で出かけて、湖に車ごと飛び込み自殺しようと湖畔をグルグルまわったこともあり、借金の恐ろしさ、苦しさを誰よりも身を刻むように味わった。親の商売を立て直そうと、会社を辞めて家業を継いだものの、親が抱えていた負債を返すためにまた借りる、ということを繰り返しているうち、商工ローン、サラ金、信販会社、街金・闇金からも借りまくって7500万にも負債が膨れ上がったが、やがてこのままではいけないと、債権債務の勉強を猛然と開始。みずから闇金との交渉、商工ローンとの調停などさまざまな修羅場を潜り抜けているうちに債務は2000万程度にまで縮小に成功。その体験や、処理方法を公開したり、ネット上で借金問題の相談に対応していたホームページのアクセス数はすごい勢いで跳ね上がり、驚くほどの人気サイトとなっていったのである。自己の経験を生かして猛勉強の末、債務処理のノウハウを構築した猫次郎先生は、いままでに約12000人以上の相談者の多重債務者、中小企業経営者を励まし、救済してきた。
先生は、この一年間に4冊もの著書を出版された。現在は、全国各地の勉強会や講演会、雑誌・新聞などの取材に東奔西走する毎日を送っておられる。近著の「連帯保証のカネは返すな」(八木先生との共著)は、すでにベストセラーの勢い。各地の書店の店頭に並べられ,多くの読者の熱い指示を得ている。猫次郎氏の著作から、多重債務者への4つのアドバイスを引用させていただくと、@「借りたカネを返す」と「利息を払う」は区別しなさい。A「借りた自分にも責任がある」と、肝に銘じなさい。Bつらいときほど、うまいものでも食べて、こころに余裕を持ちなさい。C最終的には「自力」で乗り越えなさい。   とある。どれも債務に苦しむ人々にとって、時に厳しく、時に胸に染み渡る、ひとつひとつが珠玉のような言葉だとかんじるのは藤原だけではないと確信しています。http://www.nekojiro.net/

田崎 道明 先生 茨城に田崎あり。その借金コンサルタントとしての勇名は、先生の拠点である茨城県日立市はおろか、北関東から首都圏全域に轟いているといっても過言ではない。とくに金融機関が恐れているともっぱらの評判である。地域の銀行などでは、まことしやかにささやかれているのである・・・「田崎先生を敵に回したら大変だぞ!と・・・」藤原がはじめて田崎先生にお目にかかったのは、もう2年ほど前のことである。わが師匠、東京ランドの中島先生の門下生として、お金の学校を主宰していたときのことである。田崎先生が、その学校に受講生として参加してくださった。先生の風貌は、ご自身のホームページに書いてあるとおり、いわゆるコワモテである。角刈りに釣り目ぎみの小さな目。口の周りに蓄えたヒゲと、たっぱのあるがっしりとした体つき・・・。しかし、先生をよく観察すると、その第一印象がこわもての風貌の奥に、ひとなつこい人情味にあふれた先生のまなざしが存在することに気づくのは藤原だけではないはずである。すでに一万人を超える多重債務者の相談に向き合ってきた田崎先生の携帯電話は、一日中ひっきりなしに鳴っている。多重債務に苦しむ大勢の方々が田崎先生のアドバイスを求めて、今日も携帯のボタンをプッシュするのである。先生は、神出鬼没。東京のさまざまな勉強会にもフットワーク軽くお顔を出しては、また風のように[スーパーひたち]にのって地元へ飛んで帰るのである。先生は、行政書士、AFP、会社社長などのさまざまな肩書きを持つ、才能とエネルギーあふれるマルチ人間。誰もが一度会うと、田崎ファンになってしまうのではないだろうか。藤原がもっとも印象に残っている田崎先生のお話といえば、先生が借金相談に初めてのったきっかけを伺ったときの事である。「なぜ、借金の相談にのるようになったんですか?」何気なく尋ねたところ、先生の顔が急に厳しい真顔になった。そして、次の言葉・・・「私の親しい友人が、借金を苦に自殺したんです・・・」その友人を助けてやれなかった悔しさ、やるせなさが、多くの人を救ってあげたいというやむにやまれぬ動機付けとなって、今日の田崎先生にとつながってゆくのである。今日も、サラ金・街金に追われる多重債務者、そして経営難に苦しむ多くの中小企業や自営業者を励まし、指針を与えるべく、田崎先生のハードな一日は過ぎてゆくのである。


 宮本孝先生 
宮本先生は、知る人ぞ知るリスケジュール指導の大家である。中肉中背だが太い眉と骨っぽい顔立ちが、九州男児の気骨を感じさせる。気性は男性的、豪放磊落。1946年福岡生まれ、九州大学法学部卒業後、大手都市銀行、大手ノンバンクを経て、現在経営コンサルタント会社鞄本ビジネスクラブの経営者でもある。中小企業家同友会でも会員であり、かつ諸活動に大きな力と存在感を発揮している。藤原は、中小企業家同友会の会合で同席し、宮本先生の人となりに触れる機会を得たことがある。エネルギーにあふれた「気」を放っている先生だ。著作は複数を世に問うている。中島寿一先生との共著「借金整理マニュアル」は、かつて藤原も座右の書としたほどのインパクトのある内容だった。WAVE出版。問合せ先  東京都港区東新橋2−9−14  和田ビル2F

内藤 明亜 先生
内藤明亜というお名前は、ペンネームである。英語に強い方なら nightmare つまり「悪夢」が由来であることに気づくだろう。内藤先生ご自身がかつて会社経営されており、負債4億で倒産した経験を持つ。その体験を記した「倒産するとどうなる」という本を世に出したことがきっかけでコンサルタントとしての道を歩み始めた。藤原は1999年ごろ、自身が明日はどうなるか4億の借金で慄いていたころ、内藤先生の本を夜な夜なむさぼり読んでいました。宝島文庫の「ザ・倒産」
「倒産体験」「ザ・倒産回避!」などに先生の執筆されたものが掲載されている。当時の藤原には内藤先生の本は座右の書であり、まだ見ぬ借金地獄の行く末を示してくれる貴重なバイブルでした。内藤先生は、太変な趣味人のようで、ジャズを愛し、クルマを愛し、美食家であり、人生を楽しむ達人のような印象がホームページから伺える。藤原の弟が三鷹市の明星学園の卒業生なのだが、内藤先生も明星のOBとのことで、お会いしたことがないが、一度ぜひお目にかかりたいなあと思っております。http://www.interq.or.jp/jazz/nitemare/of-0-0.htm



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